佐賀県佐賀市川副町 自然栽培園北村
肥料を入れない。農薬も撒かない。除草剤も使わない。
やることは、収穫後の切り株をそのまま田んぼに残すこと。それだけ。
佐賀県佐賀市川副町で、北村広紀さんはそんな農業を30年以上続けている。栽培面積は1.8ヘクタール。品種はコシヒカリのみ。収量は通常の農家の3分の1しかない。
それでも北村さんは、この農法を一度もやめなかった。
「人間は終わりやな」——農薬地獄からの脱出

北村さんが農業を始めたのは1983年。ビニールハウスでのナス栽培だった。6軒の農家が共同で建てたハウス団地。効率的に、たくさん収穫する。当時はそれが正解だと信じていた。
だが現実は違った。
収量を上げるために大量の肥料を投入する。すると虫が大量に発生する。虫を殺すために大量の農薬を撒く。翌年はもっと肥料が要る。もっと虫が来る。もっと農薬を撒く。終わらない悪循環。
「人間は終わりやなと思いましたね」
北村さんはそう振り返る。このままでは自分の体も、土も、壊れていく。そんな確信があった。
転機は、ある方から無肥料・無農薬栽培の存在を教わったことだった。1986年、まず10アールの小さな区画から自然農法を試してみた。翌年には50アール、3年後には160アール——持っているすべての水田を自然栽培に切り替えた。
周囲の農家は驚いた。というより、呆れた。肥料も農薬もなしで米が育つわけがない。そう思われていた。
虫が来ない田んぼの秘密

自然栽培を30年以上続けてきた北村さんには、ひとつの確信がある。
肥料を入れなければ、虫は来ない。
「肥料のガスに虫が寄ってくるんです。だから肥料を入れなければ、虫がつかない」
化学肥料だけの話ではない。有機肥料も同じだという。どんな肥料であれ、土に入れれば分解の過程でガスが発生し、それが害虫を呼び寄せる。だから北村さんは、何も入れない。
その効果を証明する出来事があった。ある年、近隣の田んぼが「害虫のウンカ」で全滅した。稲の穂に実が入らず、地域一帯が壊滅的な被害を受けたのだ。
「隣が全滅したところでうちの田んぼには入ってこない」
北村さんの田んぼだけは無事だった。何も入れていないから、何も寄ってこない。30年かけて育てた土が、稲を守っていた。
技術だけじゃない。心が米を変えた

コシヒカリ一筋。しかも30年以上、自家採種を繰り返してきた。市販の種籾を買わず、自分の田んぼで穫れた種を翌年また蒔く。その繰り返しの中で、北村さんのコシヒカリは独自の進化を遂げ、通常よりも大きな粒をつけるようになった。
だが、大粒米の誕生には技術だけでは説明できないエピソードがある。
消費者から「作り手の言動で味が変わる」と言われたことがあった。最初は半信半疑だったという。しかし北村さんは、自分の悪いところ——口の悪さを自覚し、それを直す努力を始めた。
すると、突然大粒の米ができた。
偶然かもしれない。科学的に証明できるものでもない。でも北村さんは、この経験を通じて確信したことがある。技術だけでなく、作り手の心が作物に影響する。だからこそ「神の力」というブランド名を冠した。
30対1で押し込まれても、折れなかった

自然栽培への転換は、技術的な挑戦だけでは済まなかった。
最大の壁は、地域の共同ポンプだった。水田に水を引くためのポンプを地域で共有しているのだが、自然栽培に切り替えた北村さんは、周囲と折り合いがつかなくなっていく。さらに減反政策への協力要請も拒否した。
30対1。地域の農家が束になって北村さんに圧力をかけた。
北村さんの選択は、自分でポンプを4~5台購入して独自に水を確保すること。金銭的な負担は大きかったが、誰にも左右されない農業を続けるためだった。
「何くそ、と思いましたね」
その一言に、30年分の重みがある。
喉を通らなかった人が、この米だけは食べられた

苦しいことばかりではない。
北村さんが農業を続ける理由のひとつに、消費者からの声がある。
病気で何も食べられなくなった人がいた。体重は35キロまで落ちていた。何を口にしても受け付けない。医師も家族も、ただ見守ることしかできなかった。
その人が、北村さんの自然米で作ったお粥だけは食べることができた。
体が本当に必要としているものを、本能が選び取る。そういう米を作っている。この事実が、北村さんの背中を押し続けている。
1kg108万円の米が目指す世界


北村さんの代表商品「神の力スペシャル」は、1kgあたり108万円。「特注の木箱」に龍を施し、和紙と水引で包む。
もはやお米ではない。芸術品だ。
一見すると、常識外れの価格に思えるかもしれない。だが北村さんの中では、明確な戦略がある。
「松坂牛と思って買ってくれ」
富裕層をターゲットに据え、自然栽培米の価値を最大限に引き上げる。最初は高級品として世に出し、やがて多くの人が手に取れるものにしていく。北村さんは携帯電話の歴史を例に出した。最初は一部の人しか持てなかった。でも今は誰もが使っている。
「もう一桁上のやつも作りたいとずっと思ってる」
1.8ヘクタールの農家が1億円を稼ぐモデルを作る。それが北村さんのビジョンだ。小さな農家でも、本物の価値を提供すれば戦える。規模ではなく、質で勝負する道があることを証明したい。
2030年までに、自然農法を世界に広げる。その先頭に立つ覚悟を、北村さんは「ファーストペンギン」という言葉で表現した。最初に海に飛び込むペンギンのように、誰よりも先にリスクを取る。
毎日食べるものを、もっと吟味してほしい

北村さんに、消費者へのメッセージを尋ねた。
答えはシンプルだった。
肥料や農薬の危険性を、もっと知ってほしい。毎日食べるお米と野菜を、もっと吟味してほしい。自分の体は、自分で守るしかない。
「やる気さえあれば何でもできるさ」
30年以上、肥料も農薬も使わずに米を作り続けてきた男の言葉だ。周囲に反対されても、30対1で押し込まれても、収量が3分の1になっても、やめなかった。
北村広紀という農家は、自然栽培の可能性を自らの人生で証明し続けている。
■ 農家プロフィール
🏡 自然栽培園北村
👤 北村広紀
📍 佐賀県佐賀市川副町
🌾 コシヒカリ(30年以上自家採種)
✨ 完全無肥料・無農薬の自然栽培を30年以上継続。自家採種で大粒化に成功した独自のコシヒカリ「神の力」を育てる。1983年農業スタート、夫婦で1.8ヘクタール。1kg 108万円の最高ランクにも挑戦する唯一無二の農家。
🔗 https://kaminokome.com/
取材・文:コメボウ JOURNAL編集部
2026年4月
