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“自分たちが美味しいと思えるもの”を。北海道・鷹栖町 原崎農園 原崎拓也、痩せた土地から始まった土づくりの14年

2026 6/22
インタビュー 産地ガイド
原崎農園 - 原崎農園 原崎拓也 鷹栖町
ゆめぴりか ななつぼし 北海道 鷹栖町 上川郡 新規就農 特別栽培 直売 後継者 14年目

北海道上川郡鷹栖町 原崎農園 ── 原崎拓也さん


北海道上川郡鷹栖町。旭川の隣に位置するこの小さな町に、20ヘクタールの土地と向き合う米農家がいる。

原崎農園・原崎拓也さん。

サラリーマンから新規就農の道を選び、2012年に自分の土地を持って農業を始めた。今年で14年目。痩せていた土地に、土づくりから手をつけ、ゆめぴりかとななつぼしを育てている。

けれど、ここに辿り着くまでの道のりは、決して順調ではなかった。

「農協も、農業委員会も、町の農政部も、新規参入には後ろ向きでした」


目次

会社員時代の調査が、就農の道を開いた

原崎農園 - 会社員時代の調査が、就農の道を開いた

原崎さんは、もともとサラリーマンだった。

会社を辞めようと考えていたとき、ふと思い出したのが、サラリーマン時代に担当した一つの調査だった。2000年代初頭、農業法人の参入規制が緩和されたタイミング。原崎さんは、自社が農業に参入するかどうかを検討する新事業調査を任されていた。

「当時は他の部署を縮小した人員で採算が合うという話だったんで、素人がいっぱい集まっても利益が出るわけではないということが分かって、その時は新事業として終わってたんですけども」

会社としてはお蔵入りになった事業だ。けれど、調査の中で原崎さん個人が掴んだ手応えがあった。

「家族2、3人でやる規模だったら、サラリーマンぐらいの年収は確保できるのかなっていう印象があったんですよ」

会社の規模では成立しなくても、家族規模なら成立する。その実感が、辞職を考えていたタイミングで、もう一度浮かび上がってきた。

「いろんな事業を考える中で思い出して、市役所の方に『農家ってなれるんですか?』って聞きに行ったんですよね」

当時、まだ「新規就農」という言葉も今ほど一般的ではなかった。


鷹栖町の議長が、「事例を作ろう」と言った

原崎農園 - 鷹栖町の議長が、「事例を作ろう」と言った

けれど、最初に相談に行った旭川市役所は、新規参入には後ろ向きだった。

「協力できないかなっていう話だったので、同じような話を近隣の町村に聞きに行きました」

知り合いから紹介されたのが、鷹栖町だった。

当時の町議会議長と副議長に紹介され、原崎さんは話を聞いてもらう機会を得た。

「10年後のことを考えたら、そういった事例を作っておきたいって、当時言われまして」

「じゃあ一緒に手探りでやっていきましょうか」──そう言ってくれた議長と副議長の言葉に背中を押される形で、原崎さんは鷹栖町で就農の道を歩み始める。

けれど、現実は厳しかった。

「農協も、農業委員会も、町の農政部も、正直後ろ向きでした」

議長と副議長の個人的な動きでなんとか繋がりをつけてもらいながら、土地を探す日々が続いた。鷹栖町で新規就農制度を使って相談に行ったのは、原崎さんが1人目だった。

けれど、土地が見つからない。後から相談に来た人が、別の地区で先に土地を見つけ、原崎さんより先に1年早く就農することになった。


隣のご夫婦が、土地を見つけてくれた

原崎農園 - 隣のご夫婦が、土地を見つけてくれた

転機は、思いもよらないところからやってきた。

当時、原崎さんは町営住宅に住んでいた。その隣に住んでいた年配のご夫婦が、5年が経った頃、声をかけてくれた。

「『まだ見つからんのか』って話で、『俺の友達が農家手放したいって言ってんだけど、ちょっと話聞いてみるか』って言ってくれて」

その紹介で出会った人から、原崎さんは初めての土地を購入する。3ヘクタール強。原崎農園の出発点だ。

「本当奇跡というか」と原崎さんは振り返る。

5年間の停滞を抜けたのは、行政でも農協でもなく、隣に住んでいた一組のご夫婦の一言だった。

そこから、原崎農園は少しずつ広がっていく。最初は野菜農家として始まり、地域で離農する人が増える中で、引き受ける土地が増えていった。麦や大豆、そして自家用に作っていた1〜2枚の田んぼを、中古の機械を借りながら少しずつ拡大していく。

気がつけば、借りている土地を含めて約20ヘクタール(2026年現在)になっていた。


痩せた土地で、土づくりから始まる

原崎農園 - 痩せた土地で、土づくりから始まる

原崎農園が現在作付けしているのは、ゆめぴりかとななつぼしの2品種。作付け量はほぼ半々だ。野菜は2026年現在、ハウス800坪と露地約0.5ヘクタール。米と野菜の両輪で農園を回している。

原崎さんが米作りで意識しているのは、化学農薬を減らし、有機肥料を増やすこと。特別栽培や有機栽培の手法を取り入れている。

そのきっかけは、引き継いだ土地の状態にあった。

「私が引き継いだ土地っていうのは、正直そんなに野菜作りしてた畑とかではなかったので、ちょっと痩せてた土地だったんですよね」

痩せた土地に、化学肥料だけで野菜や米を育てても、見栄えが良くなるだけで味が乗ってこない。原崎さんは、そう判断した。

「化学肥料っていうのは、すぐ効くし管理しやすいんですけど、土づくりがちゃんとできてないと、見栄えだけ良くなって味がついてこないんですよね」

有機肥料は、ゆっくり分解されながら吸収される。塩類が少ない状態で栽培できれば、米も野菜も美味しくなりやすい。化学肥料を否定するのではなく、痩せた土地という現実から逆算して、土づくりを意識した栽培を選んだ。

14年かけて、原崎さんは少しずつ土を育ててきた。

原崎さんが大切にしているモットーがある。

「人はトマトをつくれない」

それは、作物の命となる土づくりへの尽力を意味する言葉だ。育てているのは野菜やお米じゃなく、その土台となる土そのもの。だからこそ、痩せた土地に化学肥料を入れて見栄えだけ整えるのではなく、有機肥料で時間をかけて育てていく。


“自分たちが美味しいと思えるもの”を提供したい

原崎農園 - 自分たちが美味しいと思えるもの

原崎さんに、栽培でこだわっていることを尋ねた。返ってきたのは、シンプルだが芯のある言葉だった。

「提供する側になるのであれば、最低限、自分たちが美味しいと思えるものを提供したいなと」

食に携わる以上、自分が「これは美味しい」と言い切れるものを届けたい。その出発点から、栽培方法も販路も、全てが組み立てられている。

環境への配慮も、その延長線上にある。

「どうせそこまでやるんでしたら、少しでも環境配慮ということで、化学農薬を減らしたりですとか、そういったものを取り組んでる感じですね」

原崎農園のホームページには、3つのキーワードが掲げられている。

「再生産」「持続可能」「多様性」

そして、こんな言葉も。

「育てながら、育てられてる」
「毎日ちがう。毎年ちがう。だから、挑みつづける」

派手なスローガンではない。「自分が美味しいと思えるものを作る」という単純な動機の積み重ねが、結果として特別栽培という形になっている。


直売を増やして、リスクを分散する

原崎農園 - 直売を増やして、リスクを分散する

原崎農園の販路は、農協・直売・卸の3本立てだ。

野菜は年間の約7割を自分で販売している。米は農協出荷と直売がほぼ半々。直売の中身は、食べチョク、卸先への直納、旭川のマルシェなど多岐にわたる。

原崎農園が育てている野菜は、グリーンアスパラ、ホワイトコーン、かぼちゃ、原崎さんちのぜいたくトマト、カラフルミニトマト、オクラ、ズッキーニ、にんじん、ナスなど。「少量多品目」で、東京や旭川の飲食店向けに少しずつ届けている。

「見た目に愉快なカラフル野菜」を意識して、定番ではない品種を選ぶ。野菜にも、もっと選択肢を──そんな思いで、少量多品目の栽培を続けている。

就農当初は、ほとんどを農協に出していたという。

「最初の2、3年はほとんど農協に出してましたね」

けれど、原崎さんが最初に始めたのは野菜農家。地元の農協は野菜もやってはいたものの、米中心の農協だったため、野菜の販売には力が入っていなかった。

「任せておいたら食べてけないなっていうのがあったんで、高く売ってくれないんやったら自分で売るわっていうのが始まりみたいな感じですね」

そして、リスク分散の必要性を痛感する出来事があった。2018年の北海道胆振東部地震だ。

「1週間輸送が止まったのと、それまで野菜中心だったんで、その時まで8割9割ぐらい全部東京に送ってたんですよ」

1週間の輸送停止に加え、地震をきっかけに輸送費が大幅に上がった。取引先の見直しを余儀なくされ、原崎さんは販路を組み直す必要に迫られた。

その経験から、現在の原崎さんの目標は「直売3〜4割、農協3割、卸3割」のリスク分散だ。

「リスク分散できたらいいのかなって」

地震が教えてくれた、農家にとっての販路の意味。原崎さんは、それを少しずつ形にしている。

直販のお客さんからは、こんな声が届いている。

「アスパラ特有の青臭さがなく、トウモロコシのような甘みがある」
「毎年この時期が来るのを家族で楽しみにしています」

太陽の光をたっぷり浴びて、雪解け水で育ったグリーンアスパラ。一本一本を毎日見極め、最適なタイミングで手作業で収穫する。鮮度・甘さ・コク──14年かけた土づくりが、確かな味として食卓に届いている。

原崎農園の取り組みは、米と野菜だけにとどまらない。加工品にも力を入れている。

「夜のサラダ」── 自家栽培野菜を使ったピクルス・漬物。
「ゆめぴりか ふっくらごはん」── 自家米を使ったレンジアップごはん。

採れたての旬を、さらに長く、さらに身近に届ける。それも、原崎農園が大切にしているかたちのひとつだ。


後継者を、見つけたい

原崎農園 - 後継者を、見つけたい

原崎さんに、これからの目標を尋ねた。

「大それた目標とかはないんですけども」と前置きしてから、原崎さんは静かに答えてくれた。

「うちは後継ぎがいないもんですから、せっかく10数年頑張って顧客開拓したりとかしてきたんで、経営を引き継いでやってくれる人を、いずれ見つけたいかな」

20ヘクタールの土地。14年かけて育てた土。築き上げた顧客基盤。それらを全部抱えて引退するのではなく、引き継いでくれる誰かに渡したい。

そして、もう一つ。

農業をやっていて良かったことを聞いた時、原崎さんはこう答えた。

「お米にしても野菜にしても、食べ放題だっていうのが、あとはそうですね、自分で売ったりしてる中で、直接消費者さんから美味しいよって言ってもらえるのはやっぱり嬉しいですよね」

サラリーマン時代と農家になってから、どちらが良かったか聞いた。

「どっちが良かったかは、ちょっと正直悩みますね」

農業が悪いわけじゃない。サラリーマン時代も悪かったわけじゃない。原崎さんは、どちらも肯定する。

派手に「人生変わりました」と言わない。あの会社員時代があったから、調査の手応えがあり、調査の手応えがあったから就農があり、就農があったから今がある。全部地続きだ。

最後に、消費者へのメッセージを尋ねた。

「これからも美味しいと思ってもらえるように頑張っていきます。あとはもっとお米食べてください」

会社員の調査が、北海道・鷹栖町の田んぼに繋がった。隣のご夫婦の一言が、20ヘクタールの始まりだった。痩せていた土が、14年かけて米と野菜を育てる土になった。

原崎拓也さんは、今日も鷹栖町の田んぼに立っている。


■ 農家プロフィール

🏡 原崎農園
👤 原崎拓也(はらざき たくや)── 旭川市出身。サラリーマンから新規就農の道を選び、約5年間の準備期間を経て2012年に鷹栖町で就農。会社員時代は新事業として農業法人参入の調査を担当した経験を持つ。
📍 北海道上川郡鷹栖町
🌾 ゆめぴりか・ななつぼし(半々で作付け)
✨ 2026年現在 約20ヘクタール/特別栽培(化学農薬を減らし有機肥料中心)/野菜(ハウス800坪+露地約0.5ha)も並行栽培/繁忙期パート4名/販路は農協・直売・卸の3本立て(将来3:3:3〜4のリスク分散目標)/2018年北海道胆振東部地震で販路の見直し/加工品「夜のサラダ」(ピクルス・漬物)・「ゆめぴりか ふっくらごはん」(レンジアップごはん)
🔗 https://harazaki-farm.jp/

よくある質問|この記事のテーマについて

ご質問をクリック(タップ)すると答えが開きます。

Q. 原崎農園はどこにある米農家ですか?
A. 北海道上川郡鷹栖町に拠点を置く米農家です。旭川の隣に位置するこの町で、原崎拓也さんが2012年から新規就農の道を歩み、2026年現在は約20ヘクタールの土地でゆめぴりかとななつぼしを育てています。野菜も併せて栽培する「米と野菜の両輪」の農園です。
Q. 原崎拓也さんが農業を始めたきっかけは?
A. サラリーマン時代、農業法人の参入規制が緩和されたタイミングで自社の農業参入を検討する新事業調査を担当したことがきっかけです。会社規模では成立しなかったものの、「家族2、3人でやる規模ならサラリーマン並みの年収を確保できる」という個人としての手応えが残り、会社を辞める時にその記憶が浮かび上がりました。
Q. 原崎農園はどんな品種のお米を作っていますか?
A. ゆめぴりかとななつぼしの2品種で、作付け量はほぼ半々です。化学農薬を減らし、有機肥料を増やす特別栽培や有機栽培の手法を取り入れています。米と並行して2026年現在 ハウス800坪・露地約0.5ヘクタールの野菜栽培も手がけ、少量多品目の運営をしています。
Q. 原崎農園の米作りのこだわりは?
A. 「提供する側になるのであれば、最低限、自分たちが美味しいと思えるものを提供したい」という考えが軸です。引き継いだ土地が痩せていたため化学肥料だけでは味が乗らないと判断し、有機肥料でゆっくり土づくりを進める方法を選びました。「人はトマトをつくれない」というモットーで土そのものを育てる発想です。
Q. 原崎農園のお米はどこで買えますか?
A. 農協・直売・卸の3本立てで販売しています。米は農協出荷と直売がほぼ半々で、直売の中身は産直EC「食べチョク」、卸先への直納、旭川のマルシェなど多岐にわたります。野菜は年間の約7割を自分で販売しており、東京や旭川の飲食店向けに少量多品目で届けています。
Q. なぜリスク分散の販路設計をしているのですか?
A. 2018年の北海道胆振東部地震で1週間輸送が止まり、当時8〜9割を東京に送っていた野菜の輸送費が大幅に上がった経験がきっかけです。取引先の見直しを余儀なくされ、現在は「直売3〜4割、農協3割、卸3割」のリスク分散を目標にしています。
Q. 原崎農園が育てている野菜は何ですか?
A. グリーンアスパラ、ホワイトコーン、かぼちゃ、原崎さんちのぜいたくトマト、カラフルミニトマト、オクラ、ズッキーニ、にんじん、ナスなどです。「見た目に愉快なカラフル野菜」を意識し、定番ではない品種を選ぶ少量多品目スタイルです。
Q. 原崎さんが鷹栖町で就農した経緯は?
A. 旭川市役所では新規参入に協力できないと言われ、近隣の町村を回った末に鷹栖町に辿り着きました。当時の町議会議長と副議長から「10年後のことを考えたら事例を作っておきたい」と背中を押され、「一緒に手探りでやっていきましょう」と言ってもらえたことで道が開いたといわれています。
Q. 最初の土地はどうやって見つけたのですか?
A. 鷹栖町で5年間土地が見つからず、町営住宅の隣に住んでいた年配のご夫婦が「俺の友達が農家を手放したい」と紹介してくれたことが転機でした。3ヘクタール強の土地を購入し、原崎農園の出発点となりました。行政でも農協でもなく、隣のご夫婦の一言が状況を動かしました。
Q. 原崎農園が無農薬寄りの栽培を選ぶ理由は?
A. 引き継いだ土地が痩せていたため、化学肥料だけでは「見栄えが良くなって味がついてこない」という判断からです。有機肥料はゆっくり分解されながら吸収され、塩類が少ない状態で栽培できれば米も野菜も美味しくなりやすいといわれており、痩せた土地の現実から逆算して土づくりを選択したシナリオです。
Q. 原崎農園のホームページには何が書かれていますか?
A. 「再生産」「持続可能」「多様性」という3つのキーワードに加え、「育てながら、育てられてる」「毎日ちがう。毎年ちがう。だから、挑みつづける」といった言葉が掲げられています。派手なスローガンではなく、自分が美味しいと思えるものを作るという動機の積み重ねが特別栽培という形になっています。
Q. 原崎農園のグリーンアスパラの特徴は?
A. 太陽の光をたっぷり浴びて、雪解け水で育つ点が特徴です。一本一本を毎日見極め、最適なタイミングで手作業で収穫しています。直販のお客様からは「アスパラ特有の青臭さがなくトウモロコシのような甘み」「毎年この時期が来るのを家族で楽しみにしている」といった声が届いているとのことです。
Q. 原崎さんのこれからの目標は?
A. 「後継ぎがいないので、10数年頑張って顧客開拓してきた経営を引き継いでくれる人を、いずれ見つけたい」と語っています。20ヘクタールの土地、14年かけて育てた土、築き上げた顧客基盤を、引き継いでくれる誰かに渡したいという想いがあります。
Q. 原崎さんが農業を続けて良かったと感じることは?
A. 「お米にしても野菜にしても、食べ放題だっていうこと」、そして「自分で売っている中で、直接消費者さんから美味しいよと言ってもらえること」が嬉しいと語っています。サラリーマン時代と農家時代のどちらが良かったかは「正直悩む」と、両方を肯定しているのも印象的です。
Q. 原崎農園から消費者へのメッセージは?
A. 「これからも美味しいと思ってもらえるように頑張っていきます。あとはもっとお米食べてください」と語っています。会社員の調査が鷹栖町の田んぼに繋がり、隣のご夫婦の一言が20ヘクタールの始まりになった14年の積み重ねの上で、原崎さんは今日も田んぼに立っています。

原崎農園から学ぶ、新規就農で14年続けるための5ステップ

各ステップをクリック(タップ)すると詳細が開きます。

Step 1:事業性を冷静に検証する
サラリーマン時代の新事業調査のように、家族規模で成立する事業性を客観的に試算します。「会社規模では合わないが家族規模なら成立する」という線が見えれば、就農の現実的な土台になる想定です。
Step 2:協力的な自治体を粘り強く探す
1つの市町村に断られても、近隣を回って事例を作りたい自治体や個人を探します。原崎さんのケースでは町議会議長と副議長の理解が突破口になりました。新規就農では行政の温度差を見極める姿勢が鍵といわれています。
Step 3:土の状態から逆算して栽培方法を選ぶ
引き継いだ土地が痩せていれば、化学肥料で見栄えだけ整えるのではなく有機肥料で時間をかけて土を育てる方向に振ります。「人はトマトをつくれない」のモットーのように、作物より土を育てる発想です。
Step 4:災害リスクを織り込んだ販路を組む
2018年北海道胆振東部地震の経験のように、輸送停止や運賃高騰は突然訪れます。「直売・農協・卸」を3〜4割ずつ分散させ、1つの取引先依存を避けるシナリオを意識します。
Step 5:顧客基盤を引き継ぐ前提で育てる
後継者がいない前提で経営を組み立て、土・顧客・販路を「次に渡せる資産」として育てます。少量多品目の野菜やリピーター直販など、属人性を抑えて引き継ぎやすい構造を作る業界一般の発想を取り入れます。

参考・出典

  • 農林水産省・各都道府県農産物統計
  • 業界団体公開データ
  • コメボウJOURNAL編集部によるオンライン取材記事

※本記事の情報はコメボウJOURNAL編集時点のものです。最新情報は各公式サイトをご確認ください。

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この記事を書いた人

コメボウJOURNAL編集部のアバター コメボウJOURNAL編集部

コメボウJOURNAL編集部。全国の米農家21名のオンライン取材を経て、「全国の米農家と消費者・飲食店が、直接つながる」をミッションに発信。2026年に農業DXサービス「コメボウ」を立ち上げ、取材と仕組みづくりの両軸で米農家の経営を支援している。

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