新潟県南魚沼市 笠原農園
朝、田んぼに出る。
440枚。見渡す限り、自分が育てた稲が並んでいる。3日ぶりに来れば、確かに変わっている。笠原農園の代表は、この光景を「子供たちに会いに来る感覚」と話す。
「田んぼが440枚あって、子供たちが440人いるんですよ。成長を見に行く感じで毎日来てます」
新潟県南魚沼市。日本随一のブランド米産地として知られるこの地で、笠原さんは59ヘクタールの農地を管理している。夏には15人のスタッフが動き、コシヒカリをはじめゆうだい21・新之助・にじのきらめき・農林1号など多彩な品種を育てる。
兼業農家の息子が、20倍にした

平成6年、笠原さんは父が営む兼業農家を引き継いだ。
当時の規模はわずか数ヘクタール。それを今の59ヘクタールに育て上げたのは、専業農家として覚悟を決めた笠原さん自身だ。田んぼの区画整理も自社で行った。2枚を1枚に、3枚を1枚に。土地そのものから変えていく作業を、コツコツと積み上げてきた。
「親が兼業農家だったので、自分になってから専業にして。そこから20倍に増やしてきました」
品種も一本から多彩に広げた。この土地でどこまでできるか。やれることは全部やる。その姿勢が、今の規模を作った。
微生物と、真冬70度の堆肥

笠原さんのこだわりは「土作り」に集約される。
田んぼ1枚あたり3立方メートルの堆肥を投入する。1メートル四方のサイコロ3個分。真冬でも内部温度が70度まで上がる自家製堆肥だ。微生物を育て、土壌から根本的に変えていく。その手間は、一般的な農家の比ではない。
「微生物を育てて、微生物と対話する。結局、お米って微生物だと思ってるんですよ。だからめちゃくちゃ豪快にやってます」
この土作りへの執念が実を結んだのが、平成21年のダイヤモンド褒賞受賞だ。200万分の1とも言われる、お米の世界での最高峰の評価。
しかし笠原さんは今もこう話す。
「もうあれは過去の栄光。コンクールを取り続けていかないと、それだけで終わってしまう」
賞に甘えない。現在進行形で、もっとうまい米を追い続けている。
寝てらんない、という感覚

南魚沼には今、20代・30代・40代・50代の若手農家がびっしりいる。互いに切磋琢磨しながら、日本一の米どころを守っている。
「ライバルがいるから息が抜けない。でもそれが楽しい。もっとうまい米を作ってあげようって、意欲がどんどん湧いてくる」
笠原さんのお米に変えたら子供がおかわりするようになった。食欲がなかったお年寄りが食べられるようになった。そんな声が届くたびに、笑いながらこう言う。
「だから、寝てらんないんですよね。本当に」
440人の子供たちに毎日会いに行く。土の変化を目で確認し、水の調整を手で感じる。その積み重ねが、南魚沼最高峰のお米をつくる。
浦佐駅に、銅像を建てたい

笠原さんには、夢がある。
規模をもっと拡大したい。日本中の消費者に、笠原農園のお米を届けたい。そしてその先に——
「浦佐駅に銅像を建ててもらえるくらい、地域に貢献した人間になりたいんですよ。死んでからでも、あの人は地域のために生きたって思ってもらえるような」
大きな夢だ。でも笠原さんの口から聞くと、冗談には聞こえない。
一代で59ヘクタールを作り上げた男の言葉だから。
440人の子供たちが、今日も南魚沼の空の下で育っている。
■ 農家プロフィール
🏡 笠原農園
👤 笠原勝彦
📍 新潟県南魚沼市
🌾 コシヒカリ(メイン)・新之助・ミルキークイーン・虹のきらめき・いのちの壱 ほか多品種
✨ 親の兼業農家を継ぎ専業化、平成6年から農業33年。59ヘクタールを家族と社員・パート15人で耕す。堆肥三反盛りの土作りに注力し、田んぼ440枚を「子供」のように見回る。南魚沼の八海山を目指す実力派。
🔗 https://kasahara-farm.raku-uru.jp/
取材・文:コメボウ JOURNAL編集部
2026年4月
